LOCUS OF "bisen"

美専への潮流

造形教育の本質

言うまでもなく美術教育はアートとデザインを内包しています。
かつてポスターが"叫ぶ絵"と呼ばれ登場して以来、「デザイン」という専門性が確立してきましたが、
その背景には、造形運動の繋がりがありました。
この流れは世界の美術系教育機関に受け継がれ、造形教育の基盤をつくりました。
長野美術専門学校のDNAもまたここにあります。
メディアがあふれる複雑化社会に、
アートとデザインは不可分のクリエイティブワークとして、無限の広がりを見せるでしょう。
その時、本質を学ぶべきは美術でこそあるのです。

美術・デザイン・造形教育の世界から日本

長野美術専門学校への潮流

around
1919

近代造形教育の出発点

バウハウス

近代建築の四大巨匠の一人であり、モダニズムを代表するドイツの建築家、ワルター・グロピウスが造形教育機関バウハウスを開校。

around
1932

造形教育の体系が世界に波及

建築工芸研究所 ニューバウハウス 他

アメリカでのニューバウハウス開設や、バウハウスに留学した日本人等が建築工芸研究所を開設するなど、バウハウスから始まった造形教育の体系が各地に継承される。
建築工芸研究所には"デザイン界の巨人"亀倉雄策が在籍していた。

around
1959

日本のデザイン界を牽引

日本デザインセンター

建築工芸研究所で学んだ亀倉雄策を中心に、日本を代表するデザインプロダクションのひとつ、日本デザインセンターが設立。
"マークの哲人"上原昌、長野美術専門学校現校長の小林勝彦が在籍。

around
1970

クリエイティブを学べる
長野でただ一つの美術専門学校

長野美術専門学校

長野唯一の美術専門学校である、長野美術専門学校が誕生。
初代校長として村田武次、次期校長として小林勝彦が就任。
美術・デザインの専門教育を通して創造性の育みを行っていく。

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