CAMPUS LIFE

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新年にあたり

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始業の日に

美専は「リベラルアーツ」を学ぶところ

自由を取り戻す美専生
 「学校に生徒が耐えられなくなっている、不登校がデフォルト化している」とは、あの内田樹先生の見解ですが、とんでもない常態の世の中になってきたものです。
 ある時、制作課題に取り組む美専生がこう言いました「好きにやっちゃっていいんですね!」と。「なぜ好きにやっちゃいけないの?」と私は問い返し、自分の考えでつくり出すことを奨励しました。これは、何かに縛られていた自分に気付いた出来事といえるでしょう。このような言わば "自由の取り戻し" こそ、美専で日々見られる学びの成果です。
美術は学びと育ちの入り口
 学びと成長の人生を誰もが歩んでいます。我々は知性と感性を上げ、人として成熟していくのです。美術はもともと全人的な性質を持っていますので、専門家だけのものではありません。美専の創立者が「美術による全人教育」を建学の精神に揚げましたが、そもそもの出発時点から美専が一般的な専門学校観とは違うことがわかります。 「リベラルアーツ」は教養、知識をつける学びではなく、学び続け育っていく人生の入り口に立つ学びととらえるべきでしょう。美専が"何にでもなれる"と学生を励ますのは、そういうことからなのです。
教育より学育
 「人の成長を阻む何者かの台頭を恐れる今、さらに記しておきたいことがあります。それは「教育」という言葉が、"教え育てる"という解釈により、その意味を狭めてしまったのではないかという想いです。「教育」からは、特に教える側に主体を感じてしまうのです。ここはひとつ、学ぶ側に主体を移譲して"学び育つ"「学育」としたらどうかとさえ考えています。そうなれば、学校は「学育機関」となるでしょう。

 新年に臨んで、改めて美専が「リベラルアーツ」の学びの場であり、人間の基礎力をつけるところであることを明確にいたしました。そして「教育」についての想いを述べさせていただきました。

令和6年1月4日
学校法人クリエイティブA 長野美術専門学校 校長
小林 勝彦

動き出す、美専展2024

これも、始業の日に

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