CAMPUS LIFE

キャンパスライフ

学生の学びから学ぶ、こうした美専イズムが社会に広がるといい。

学生の学びから学ぶ、こうした美専イズムが社会に広がるといい。

映像ラインの学内展示。
吊り下げられた写真の回廊を往復してくぐりぬけ、観覧するしかけ。

「こんな考え方もあるのか」と教員も学ぶ、集大成の学内展。

総合制作期では、各学科の2年次までは「総合制作」、3年次からは単位を拡大して「総合研究」に取り組む。そしてそのゴールが学内展。ここではキャンパス内に思い想いに展示した作品を、約一週間たっぷりと時間をかけて、学生がそれぞれプレゼンし、講師陣が観て回る。これは学生と教員の学びのツアーだ。

学内展での講評会

ホールに展示された「野菜のパッケージ」のデザイン提案を囲む。
先生方の集中度がすごい。

野菜のパーッケージの新提案 パッケージは、その属性を周知するもの。これを拡張すれば商品自体を覆ってしまっても成立するはず・・・。
包まれる商品やその流通にとどまらず、私たちの消費認識までも問いかけたデザイン。

この取り組みは、見た目にとらわれる姿勢に対して「こういった考え方もあるんじゃないか⁈」という、パッケージデザインのアンチな提案。学生の解説(下のコラム)をじっくりお読みください、学べます。

パッケージの提案

 「人は見た目が9割」この言葉のもとになったメラビアンの法則。これはコミュニケーションにおいて「視覚情報」が55%、「聴覚情報」が38%、「言語情報」が7%と提唱されている概念のようなものであり見たものが全て、ということ。悲しいかな、どんなに頑張っても言語の情報などとるに足らないものなのだ。この法則を知った時、これは野菜にも当てはまるのではと思った。人と野菜、いやそもそもコミュニケーション以前の問題だろと思ったそこのあなた、ちゃんと読んでね。
 人の他に、いや、それ以上に見た目に囚われているもの、それは野菜だ。野菜は収穫されてから市場に出回るまでにまず規格に入っているか否かを選別される。曲がっている傷ついている色が薄い太さが足りない大きい小さい・・・・・・そういったものが規格外野菜として排他され、市場に出回った後も消費者のお眼鏡にかなわないと売れ残る。野菜を見定める上で見た目は非常に重要な要素である。どんなに高級なものでも見た目が悪く美味しそうに見えなければ誰も買いはしないだろう。手にとって自分の目で見て買うかどうか判断する、それが野菜である。状態が悪いものは美味しくない、というわけではなく、見た目以外の情報は全て同じにも関わらず見向きもされない状態である。野菜も見た目が9割。視覚情報で差別されてしまうならそれをなくせばよいのではないか・・・
 そこで作りたくなったのが大事にされていない言語に情報を全振りした「モノ」。どんなものにも共通した情報は存在するわけで、見た目だけで惑わされないで欲しい。商品販売を目的とした作品というより、こういった考え方もあるんじゃない?という提案を投げかけ、見た人に思考してもらうための種子であるための「作品」であるので、これ実際には社会で通用しないよな、どこでこんなの販売するの、等の意見は大歓迎である。逆に文字が多いからと素通りされることが一番恐しい。

総合研究
ビジュアルデザイン科3年制学科
3年次 C.H.

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